栃木県真岡市の建築屋の旅記録~マレーシア②
みなさん、こんにちは。
本日は蕎麦田の旅ブログです。マレーシアの第2弾です。
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旅の話7
(クアラルンプ-ルで)ペナンからクアラルンプ-ルへは電車での移動。マレ-鉄道
は、北はバンコク、南はシンガポ-ルを結んでいる国際線である。島の近くの半島の町
バタワ-スからクアラルンプ-ルまで約300km、4時間の旅である。(5時間であった
かもしれない)チケットはエクスプレス、シ-トは指定でいくらか柔らかい。
狭軌車であるためか狭く、満席で、車内は東南アジアの臭いでムンムンとしている。
対面シ-トの中間に細長いテ-ブルがあり、これが今一座席からの出入りのじゃまを
している。不要のものと思うがここは日本ではない。車窓からパ-ムヤシ畑、そして
ジャングルがひたすら続く。そう遠くない昔、アメリカにコケにされた日本は戦を
仕掛け、そしてこの地来まで来た。大和魂と38式歩兵銃ではその国とその仲間をこの
東南アジアから追い払うことはできず、日本も焼け野原になった。時の流れは悲しさ
も辛さも少しずつ削ってくれる優しさをもっている。
クアラルンプ-ルは大きな街である。いたるところでビルを造っている。
中国○○有限公司の看板がめだつ。みなその国の唯一得意なコンクリ-ト製である。
ここは地震がない。(といわれている)ゾウリにヘルメットの作業員が動いている
姿が、壊れた囲いの間から見え、その国の資本が流れているのを感じるが、いつまでも
他力ではどうなのであろうか。石油もいつまでも出るわけではない。
(大きなお世話かも)
マレ-シアがほこるペトロナスツインタワ-を眺めた。当初日本の間組が2棟建てる
予定であったらしいのだが、韓国の建設会社が横槍を入れ1棟を建てたと聴いている。
しかし横槍を入れて造った方は傾いているという話。ツインタワ-のピカピカ外壁は
何かと思って近くで見るとステンレスの板が張ってある。彼等はピカピカが好きな民族
でもある。ツインタワ-の西の方の丘の上にクアラルンプ-ルタワ-があり夜景を観に
そこに上った。ツインタワ-がピカピカと近くに見え、丸い天辺のその形はここが
イスラ-ムの国であることを感じる。
マレ-シアは多民族国家である。ホテルの廻りはイスラ-ムの縄張りだったようで、
夕食は華僑の人達が経営する食い物の街のところまで、いくらか時間をかけて
行かなければ、飯とビ-ルが同時に腹に入らない。イスラ-ムの人達は豚を食べる人達
を非常に毛嫌いするらしいので同じ場所では商売はしないらしい。
クアラルンプ-ルで一番大きなイスラ-ムの寺を覗いた。そこの人にどうですかと
(たぶん入信について)聴かれたが、カミさんにほっかぶりをして歩けとはいえない。
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