栃木県真岡市の建築屋の旅記録~台湾①
こんにちは。いかがお過ごしでしょうか?
本日はシリーズでお届けしております蕎麦田の旅ブログです。台湾編です!
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旅の話その4
台北は成田(羽田)から3時間、機内でビールを飲み、ひと寝入りを考えると、そこに
着く。この国は難しい立場にある。国と呼ぶと西の大国の指導者(指導者とよぶ価値の
ある人達かどうかはなんともいえないが)が大声を上げる。しかしその大国より民主的
な政治をし、軍隊を持っていれば、それは国と呼ばずに何であろう。
台湾は、日清戦争後、日本が大戦終了まで統治した。当初そこは清国自体統制下にある
とあまり意識していなかったようで、現地は風土病や、わけのわからない病気が
はびこり、人がまともに住めるような所ではなかったらしい。
そこに水道を引き、下水を掘り、学校を造り、ダムを造り、たんぼを整地し、彼らには
関係のない神社まで造り、人がまともに生活することのできる場所にしたのは、日本が
統治していた時である。無論、統治者も何かおいしいものはないかと山を掘り、川を
散策したが多少の金が出た程度で終わった。統治者は彼らを差別はしたが、搾取は
しなかった。差別はあったが優秀な人はそれなりの処遇をした。初代の総統『李さん』
は日本の大学に招聘され学んだ一人である。統治者はその地を第二(第三)の本国に
造ろうとしたのであろう。
この国に民主という体制ができたのはつい最近である。大戦後、大陸内の戦で
『毛沢東』に敗れ台湾に逃げこんだ『蒋介石』の一団がこの国を治め始めた。現地の人
はこれでうるさい人達から逃げられ差別もなくなると期待したが、簡単に裏切られた。
彼らは相変わらず大陸と同じようにここでも搾取を始め、現地の人を一段下の扱いにし
統治した。『犬が去って豚が来た』と現地の言葉ではいう。
蒋介石は船で逃げるとき同胞を大陸に置き去りにし、船の上の人を海に捨てた。
そのかわり日中戦争時疎開し保管しておいた紫禁城の文物をこの島に持ってきた。
それが今、台北の故宮博物院で観ることができる。ここに関する番組をNHKは何回か
流した。それを欠かさず観ていた私個人は一昨年3回目の台湾旅行に出かけた。3回目の
故宮博物院である。ここは世界4大博物館のひとつに数えられている。前回、前々回は
少数の現地の人、顔の白い人、日本の高校の修学旅行の生徒、現役を終えたような人、
と自分くらい、人は静かであった。
しかし今回は以前とは違う風景になっていた。ここでも又どこの国から来たのかは
知らないが、でかい声を出し、束になって歩き、他の人の迷惑を感じようともしない
人達で埋め尽くされていた。これで又、少ない楽しみの一つが減った。
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