栃木県真岡市の建築屋の旅記録~ベトナム①
こんにちは。
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旅の話 8
この国がアメリカとの戦争が終わったのが75年、その後カンボジアとの衝突、
続いて中国とのいざこざがあり、国が落ち着いたのは80年になってからである。
長い戦が終わり、40年がたとうとしている。
ベトナム戦争を題材にいくつか映画作られ、その中でもっとも有名なものはフランシス
コッポラ-監督の『地獄の黙示録』ではないか。本もいくつか出版され、開口健書の
『輝ける闇』は私の死にかけた脳みそにチクリト針を刺した一冊である。そのような
ことから、ここは気になる場所ではあった。
約10年間もの間、アメリカはこの地に爆弾をばら撒き鉄砲を打ちまくったが、竹網の
帽子に天秤棒を担いだ、日焼け顔の人達を屈服させることはできなかった。アメリカも
本気で勝つつもりだったのかどうか、疑問を感じるふしもないわけではない。
その後なぜか街の名は北の方の親方の名前に変わり、そして今、そのころを感じるもの
はない。40年の歳月はそれらのことを昔話にしたようである。
ホーチミンでそれなりの名のある建物は、フランス統治時代の彼らのセンスで造った
もので観る価値は感じない。(個人的にだが)
この国で最初に目に付くのはやたらバイクが多いことである。(自転車ではない)
朝の出勤時は、交差点の信号待ちに最前列約10台前後、そしてそれが5列~10列か
それ以上。トオチャンもカアチャンもアンチャンもネーチャンも、1人乗り2人乗り、
時に3人乗りで、信号が変わると同時に皆気合を入れ、アクセル全開で飛んで行く。
バイクはホンダのスーパ-カブ風のデザインが多い。このバイクの流れは
台湾でも見ることができる。台湾の話では車より交通渋滞時この乗り物の方が便が
きくのがよいらしく、又若いアンチャンでも手に入れることはさほど難しくはない
乗り物なので、デートの必須道具らしい。ベトナムの人の話では車はほしいが、
今の所得で車を手に入れるにはまだ難しいとのこと、しかし彼らが車を手にするには、
この熱気の商売気があればそう遠い話ではないのでは。
ホテルの近くの船着場兼公園のベンチで一服していると、例のスーパ-カブまがいの
バイクに乗ったおっさんが話をかけてき、『どこから来た』と言うので『日本から』
と答えると、『俺のバイクは正真正銘ホンダ製であり北の大国が作ったまがい物では
ない。日本のものはみなよくできている』とか何とか言って日本から持参したマイルド
セブンを数本せしめていった。うそでもほめられることはうれしい。
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