栃木県真岡市の建築屋の旅記録~カンボジア②
こんにちは。本日は蕎麦田の旅の話です。
これまで数回にわたり旅の記録を紹介してきましたが、いったん終わりとなります。
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旅の話12 (カンボジア アンコ-ルトムから)
シェリムアップの街を北に向かうと右手にアンコ-ルワットが見え、そのまま北に
真っ直ぐ進むと、アンコ-ルトムの門にあたる。石で出来た菩薩の門を抜け、そこから
約500mくらい(多分)行くと、バイオン寺院に着く。ここは仏教の寺である。
アンコ-ルワットの大きさはないが、ここもこの地の造り方で回廊になっている。
中には石で組んだ塔の面の四方に、観音菩薩像が彫られている。約50体あると聴く。
前回もここに来たのではあるが、気がつかなかった、と言おうか、観音様である。
つまりは大乗仏教の一仏様の姿。東南アジアは上座仏教(小乗仏教とも言う)の流れで
あり、大乗仏教の流れはないと勝手に思い込んでいた私個人、知識のうすさを感じる。
上座仏教の仏の姿は一般に釈迦像であるが、大乗仏教ではバラエティ-に富んでいる。
如来、明王、菩薩 天 などがいて、それぞれに仲間がいる。仏教の話を適当にする
と(本人もあまり詳しくはない)。日本の仏教は大乗仏教の流れで上座仏教の流れは
ない。しかし大乗仏教は釈迦入仏後、ズ-と後の人たちが作ったもので、釈迦本来の
教えではないと、江戸時代の醤油屋のせがれ『富永仲基』は調べ上げた。釈迦の教えを
皆がしていては、食い物を作ることも、飯を作ることもできない。そして子作りさえ
不可能になる。大乗仏教はそこに合理性の必要から生まれた教えではないか。
(個人の勝手な見解)
(撮影:蕎麦田)
アンコ-ルトムの周りのいくつかの遺跡を見た後、今話題の遺跡、ベンメリアに
行ってみた。その遺跡群から車で約1時間半。ここの遺跡はまだ修復の人の手が入って
いない。誰かが『天空の城ラピュタ』に似ていると言ったか、言わないかは知らない
が、日本人であれば、その姿を照らし合わせることはできる。正面脇の崩れた回廊から
中の回廊に入る。石積が熱帯の大木で、または何かの自然の力で、または暇な人が、
崩し続けている。半分以上が崩れているか、崩れかかっている姿が目の前にある。
形あるもの、生きているものは必ず土に帰るか、帰ろうとする。日本の誰かが
『諸行無常』といった言葉を思い出したが、ここにその姿を見るような気もしなくは
ない。(残念ながら鐘は聞こえなかった)ここの遺跡の復旧はその大きさから容易では
ないことはたしかであろうが、このままの姿でも良いのでは、そう考える人は、私個人
だけではないような気もする。
(撮影:蕎麦田)
ここで旅の話はとりあえず終わる。30数年前から東南アジア中心にその辺をコソコソ、
と廻ってきた。10数回行った国もあり、まだ行っていないところもある。アジアは日本
ほど物が溢れているような国は少ない。しかしここには常にバナナがあり、マンゴも
ある。米も二回、三回収穫することができる。ここでの時間の流れはゆっくりである。
日本の電車のように、秒単位で動いているようなこともない。皆、爺さん、婆さんと
共に暮らしている。日本では今、爺さん、婆さんと共に暮らすようなことはあまり
見かけなくなった。
物の豊かさはそれとは引き換えに、心の豊かさをなくすのではないか。必ずしも必要で
ないものを手に入れるため、またはたいしたものでもないものを維持するために力を
注ぎ、本来力を尽くすところに力を入れていないか、気がつかない。東南アジアには
我々が捨ててきたもの、忘れ去ったものが残っている。
考えさせることは少なくはない。
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