真岡市の建築屋の思うこと⑤~食の話 その3
こんにちは、アル・ホームです。
今日から9月!!台風がまた近づいているようで心配ですね・・・
さて、今日は蕎麦田のブログをお届けします。
前回はこちら↓↓↓
真岡市の建築屋の思うこと⑤~食の話 その2 - ㈱アル・ホームの日常と活動
食い物の話 3
ある映画であのシブイ山崎努なる俳優の台詞で『生き物が生き物を食って生きている。
食うんだったら旨いのがよい』といった記憶があるが、この旨いものとは何か。
それは生まれた場所により、時代により、年齢により、又そのときの状況にもより違い
がでる。腹が減っていれば何でもうまいがそうでなければ、超高級霜降り肉のステ-キ
であってもド-テいうことはないのかもしれない。テレビは食い物の番組がやたらと
多い。そこに出てくる人皆旨そうに食っている。そんなにみながみな旨いわけは無いで
あろう、と思いながらボ-っと大好きなゆでたトウモロコシをかじり観ている。
家のカミサンの生まれは日本の西の大地である。『毛』なる親分が訳のわからないこと
をしていた最中生まれ自分で意思が持つようになった頃終わった。その後親分が変わり
『世の中は銭だ、銭だ』と銭を取ることに全員がまい進し何とか国が落ち着いた頃、
この汚い自分と2人でアッチコッチうろうろしてその辺の食い物を口に入れたが、
それらはただ生きるためのものであってウマイ、マズイ、とかいう以前のもので
あった。それらのもので育った人が我が家で食い物を作り始めた。
どれもこれもが、そうである。旨いものを作るのには、旨いものを食っていなければ
できない。そこで味噌汁からスタ-トし、カレ-、炒め物、煮物の基本的な作り方を
教えたがそれから20年、今でも家でのそのものつまりはエサである。今年の冬、
カミサンとそれなりの寿司屋に行きそれなりの物を注文し口にしたが、帰りの車の中で
皿が廻っている寿司のほうがうまいと言っていた。家のオカズが今以上進化することを
望むことはむずかしい。
18歳で初めて北海道に行き、ホタテのバタ-炒めの醤油味を口に入れたときの感動は
何であったか、気仙沼の烏賊の刺身はいったいなんだったのか、旨いものは世の中には
あるものであると40年前は感動の連続であったが、今これと言って食いたいものは
ほとんどない。又いつでもどこでもある程度のものは食える。そしてここ数年外食は
ほとんどすることがなくなった。ラ-メンなるものは週2,3度あっちこっち暖簾を
くぐったが今は月に1度も行くことはない。外での食い物はやはりプロの技があるので
大体はマズクはないのであるが体が要求しないのである。では家で何を食っているかと
いえば、今の時期は野菜が大変よろしい。特に茄子、漬けてヨシ、炒めてヨシ、煮ても
ヨシで他にはキュウリにトマトに好物のスイカにト-ムギ(トーモロコシ)である。
これらの野菜は我が庭の隅の畑でボコボコとできている。
舌も五感にうったえるものである。
つまり食い物は芸術のひとつといえるかもしれないが、
ピカソの絵を見て震える人、ベ-トベンの音楽で涙する人、漱石を読んでため息を
する人、これらの人はすべてではない。多分に一部であろう。
舌も他が皆同じように感じることが出来るかどうか、自分の好きなものが
他人がどう思うか、それはわからない。
旨いもの・・・それは自分にあった食堂でありレストランであり、結局は自分で作り
こっそりと楽しむものかもしれない。
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