真岡市の建築屋の思うこと⑤~食の話 その2
こんにちは、アル・ホームです。
また台風がくるそうです・・・一昨日から東北地方で大雨の被害がでています。
今後の天気予報に注意し、備えなくてはならないですね。
大きな被害がでませんように・・・
さて、今日は蕎麦田のブログになります!
前回の記事はこちら↓↓↓
本日は「食の話」のその2です。
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食い物の話 2
昔 昭和45年ころまでだろうか、自分が小学校、中学校ころ運動会。
どこの家も11時頃になるとカアチャンかオバチャンが家で作った豪華な昼ご飯を
風呂敷に包み持ってくる。中身は桜デンブ、またはカンピョウの海苔巻き、
お稲荷さん、ゆで卵、庭の柿、栗、人により葡萄と少しのお菓子で大体どこの家も
似たり寄ったりで豪華であった。自分が通った学校は田んぼの中にあり、生徒の
ほとんどの親は百姓で当時は二毛作をしていた。
そのことから今とは違い、運動会は米が出来上がってからの行事で10月中以降
行われていた。(今は多分9月が多いのでは)
当時の食い物はほとんどが家で作っていた。
我が家のカレ-はSBカレ-粉にうどん粉を油でまぶした物を、大体魚肉ソ-セ-ジが
メインで、時にウサギの肉、鶏肉、等の肉と、ジャガイモ、ニンジン、たまねぎの
炒めた、煮込んだ鍋の中にそのカレ-の(ル)の元を入れ作った。たいした食うものは
無かったこともあるが、カレ-はゴチソウである。ウマイ、マズイの前に腹に入れた。
晦日近く正月の前の頃は夜小豆を冷し翌日カンテン入りアンコを作り形に流し3日目
やっと食することが出来、口に入るまで長い時間を要した。饅頭はうどん粉に多少の
塩、少しの砂糖、(サッカリンの時も)に膨らまし粉を入れしふかして作る。
釜の脇で出来上がるのをジッと待った。砂糖は高く甘みをとる場合よくどこの家でも
サッカリンを使用していたが、あのいやらしいくらい甘い、苦いものは、今は販売禁止
らしい。
昔はそんな作業を見てきたが、いつの間にか今は何がよいのかわからないくらいの
味付け材があり、カレ-などは『これでもか』と言っているようで訳のわからない
くらいの種類が並んでいる。豆を煮る作業は饅頭屋出なければやっていないのでは
ないかと思える。今ほとんどのものが作るではなく選び混ぜることで食生活を満たして
くれる。電気と機械があれば家に流し台なるものは不要ではなかと感じないわけでもない。
昭和40年頃から所得が増えたこともあり、冷蔵庫が各家庭に入った。このことは
食での画期的なことかと。あらゆる食い物の作り方が変化したのではないかと思える。
食い物が簡単に腐る心配が無いので他人にただであげることも無く独占ができ、部落の
楽しみから個人の楽しみに変わりひそかに優越感をも味わえる。今その冷凍なる機械で
の食い物が超進化をし、チンなる機械とセットになれば、オニニカナボウである。
すべての飯が、オカズが食えるのである。又オカズを作る作業も前に書いたカレ-が
代表であると思えるが下手に色々調味料をまぜ作ることも無く、大体のオカズは
そのオカズに対応した混ぜ合わせ調味料を入れるだけで出来上がり、特に自分を
シビレさす物はクックDOなる物で、ピッタリハナコノパッラパンティである。(ある人の完璧の俗語)
汁もダシを採るなどと面倒なことをせず、お湯をそそぐだけ、つまり食い物を作ると
いうことは、チンするものであり、具に合わせ混ぜるものであり、熱い湯をみたすこと
である。
今はオカンが木枯らしの夜冷たい水に豆をひたすことも無く、オットウがカレ-の肉の
ためウサギを捕まえる罠を仕掛けに山に行くこともなく、庭の鳥は明日のわが身を心配
することもなく元気に卵を産める。
『明日食べることの心配が無いのであれば、不幸とは言えない』と何かの本で、食べる
ことは楽しみであり、生きる糧でもある。だからではあるが、ただ舌に良い感じを
与えれば、腹を満たせばそれでよいのであろうか。
今の子供のお袋の味、それはアジノモトなる会社が作った味であり、マルミヤの味で
あり、エースコックの味であり、○○食品の味なのか。
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