栃木県真岡市の建築屋の旅記録~インド①
こんにちは。気づけば7月がもうすぐ終わります。
一年も後半です。もうそんな時期…なんですね(^^;)
本日は蕎麦田の旅ブログをお届けします。シリーズで何回か続きますのでお楽しみに!
***************************************
旅の話その2
数年前インドに行った。10億人を下回らない人々が信仰する『ヒンドゥ-教』の
聖地を覗いた。
聖地ヴァラナシはインド北東に位置し、聖なる川『カンガ-』のほぼ中心の岸辺に
ある。夕方ついた。そこではサドゥ(修行者)は目を半分閉じ、じっとしている。
牛は口を動かしている。暗くなるにつれ信者が集まってきた(多分信者だと思う)。
これから祈りが始まるという。薄くらい岸辺に部分明かりがあたる。祭壇らしい。
マイクもセットされた。大音量で大スピ-カ-からうねり声のような、念仏のような
ものがながれる。2時間続くという。その音は他の国から来た自分には聞いているだけ
で疲れを感じる。約30分でその場所を離れた。この国は空気を体に入れるだけでも
疲れる。無駄な体力を使うわけにはいかない。
体がビ-ルとシャワーと寝床を要求している。
次の朝 またこの場所に来た。サドゥは変わらず動かない。牛も動かない。
川岸では祈りをしている人がいる。沐浴の人も少なからずいる。沐浴をすることに
より、現世の罪が流されるという。私個人もそれを必要としている人間であるが、
同じことすると体から吹き出物がでるか、熱が出るか想像できなくはない。
彼らほどの強靭な肉体 根性 免疫力を残念ながらもちあわせてはいない。
船で川下に行った。煙が立っている。この世の終わった人を荼毘している。
ここはいわば斎場、火葬場でもある。金持ちは薪がたくさん買うことができるので
こんがりと、金のない人は薪があま買えないので半生で、残ったものはこの川で処理し
来世を祈る。
古来から人は自分の中の形而上のものに寄り添い、すがり、願い 暮らしてきた。
人はそれほど強くはないのであろう。
意地汚い私個人も近くの神社で願う。 『宝くじ一度でいいからと』
クリックよろしくお願いしますm(__)m
↓↓↓
himonoyamoka.hatenablog.com
www.siemreap-guesthouse.jpn.com