真岡市の建築屋が思うこと③
こんにちは、アル・ホームです。
今日で3月が終わりますね。明日から4月!!早いですね~!!
蕎麦田のブログです。
「トイレ」にまつわるお話の最終話になります。
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建築屋のド-デモよい話 3
前の続き・・・
日本のトイレは大体にきれいである。なぜか、きれい好きの国民であるから、
マメに掃除をしているから、そして水洗であるからなのか。理由はどうあれ、いつから
そうなったかと言えば、そう遠い話ではない。私個人の家は田舎、周りは畑に田んぼ。
ここは部落での集落排水である。その設備が約35年前完成しボットンが我が家から
無くなった。小、中、高と通った学校はおつりを気にしながら使わなければならない
代物、その設備が出来、畑から、田んぼから、かぐわしい香りが漂っていることもなくなった。
皆が水洗便所になったと同時であろう。和式から洋式に変わった。今の仕事30数年の
中で、和式なるものは設置した記憶はほとんどない。皆洋式、座るタイプである。
その洋式便器が今の多機能付機械に変化させた。和式では多分にこの機能の設置は難しい。我が家もその機能が付いた機械のお世話になって20数年たつ。今は二代目の
物に世話になっている。もう別れられないくらい仲がよい。その前に立てばこんにちは
と蓋が開き、座ればほんのりと暖かく、ボタンをおせば程よい湯加減で洗浄してくれる。帰れば静かに自ら蓋を閉める。完璧である。
西洋フランスでは女の人のたいせつな『ノノ』様を洗う機械は前からあったが、その奥を洗う発想はなぜなかったのか。一説にはその奥を洗う人はその出口で楽しみを持つ人であり、そういう人たちとは違うと示すために、そこを洗うことには抵抗があるとのこと。(真実は定かではない)
考えるにこの機能は日本ばかりではなく世界的に普及するのであろうか。
多分にむずかしい(あくまで勝手な見解)大体日本以外の国は衛生観念が低い。
その作業後何も感じず、飯を食える人間がほとんどである。公共のその場所がそれなり
に清掃されかつ手洗いが設置されているなどは稀にも稀、公共のその場所を使用する
場合には、覚悟が必要である。そのような人たちが自分のその出口まで完璧にきれいに
しようなどという発想があるとは考えにくい。
それに水である。日本には有り余るきれいな水を皆好き勝手に使っているがそのような
国もほとんどない。家で使う水に色があるなどは珍しいことではない。私個人住んでいる街の中を流れている川の水のほうがきれいな感じ(多分きれい)西大国も水は
良くないようで、この島に来たその大国の人皆がこの島国の機械をすべて買い込み、
在庫が無くなる心配をさせたのは1~2年前であるが、すぐに使えなくなるという。
水が機械をだめにするらしい。
その出口を人に見せることはほぼないだろうが、きれいであることは気持ちがよい。
もうひとつ他人が見えなくとも気持ちよくしておきたいところがある。
『気持ち』である。
私個人 清く、正しく、美しく、と日々そうしたいと過ごしてはきたが、すっかり
汚れきってしまった。洗浄ではもう不可能、仏にすがるしかないのか。
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